Be Free Now

「今」自由であれ。自由とは、束縛されないということではない。自由とは心が開いているということだ。自分、そして他の誰をも貶めず、礼賛もしないということだ。ほとんどの人が自分を貶め、誰かを礼賛している。そのため心を開くことに何十年も躊躇している。あなたを自由から遠ざけているのはまさにこのことだ。

子どもの心にはジャッジメントという概念がない。だから誰にでも興味を持って話しかける。だから誰にでも心を開いて優しくなれる。

ジャッジメントは相対的だ。自分が低いと思えば高い人が現れるし、自分が高いと思えば低い人が現れる。高くなったり低くなったりしている限り、いつまでも同じドラマが繰り返される。

あなたはありのままで完璧だ。「今」という瞬間を完璧に創り上げているのがあなただ。それ以外にあなたはいないしそれ以外のあなたである必要はない。「今」のあなたが全ての源であり、そこから全てが始まる。

この世界に住む人、動物、植物、全ての物質はあなたの仲間だ。誰もあなたの上にいないし下にもいない。あなたの家にある絨毯に向かって、絨毯はいつも自分の足の下にあるから自分よりも低い存在だと思うだろうか?この世界に高い低いは存在しない。全てが調和と共に存在している。高いものも低いものも相対的には存在するように観えるが、実のところ、私たちはその相対的な差を眺めることによって自分自身を定義しているというだけだ。だから高低について考えれば考えるほど概念にとらわれて自らの自由を失ってしまう。

思考は私たちの自由を阻む最大の関門だ。思考から自由に到達することはできない。なぜなら思考は物事を分離する方向に働くからだ。分離すればするほど自由は失われていく。思考は対象物を必要とする。思考が始まった瞬間に、時間が始まる。時間なしに思考は存在することができない。時空を超えた人間の実存を檻に入れるのが思考だ。

あなたが相対的になったとき、そこには思考が生まれる。相対的であることとは分離のプロセスを進めることだ。だから思考は分離を促進する。相対的であることはものごとを理解するのに役立つかもしれない。しかし分離の道を進むことで統合からは離れることになる。

自由とは統合の極致だ。全ての概念が統合されたとき、あなたは自由を得る。それは一瞬にして起こる。そしてそれが起きたときには完全な自由を体験する。そのとき、あなたの中で抱えていた相対性がはがれ落ち、全ての概念が一つになる。全ての時間は凝縮され、「今」だけが永遠に存在することを知る。

「今」だけがこの世界を形作っている。そして、「今」を創り上げているのは私たちの意識だ。そこに思考が入り込む隙間は1ミリも存在しない。

思考を超えるとそこには無限の世界が広がっている。これは思考的に生きるか、感覚的に生きるかというような対比ではないし、思考を捨てることが重要なのではない。思考は生物としての在り方の一つなので生物として前に進めばそこに概念が生まれる。あらゆる概念を統合することで思考を超えることができる。自由はそこにある。

この世界には上も下もない。ただひたすらゆるぎない調和が広がっているだけだ。上や下を探す必要はないし、調和でさえも探す必要はない。調和はすでにそこにある。

もしあなたが自由であることを望むなら、現実の傍観者であることだ。「私」という意識から生まれた世界をただ眺め続けていれば、やがて思考や概念があなたのものではないと気づく。そして世界は統合される。「今」という瞬間にあらゆるエネルギーが集まってきてあなたはあらゆるものから自由になる。

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