Bloom In Serenity

静けさに咲く花、それが実存の姿だ。私たちの本質が花開くとき、全ては消え失せる。本質に至る瞬間、私たちは本当は誰であったかを知る。

花開く前の私たちの心は、不安や迷いに翻弄される。この人生で本質の花が咲くのか、咲かないのか、分からない状態で、あれやこれやを考え、右へ左へとさまよう。このとき人生は、果てしなく続く探求の道、修行の道のように観える。

しかし宇宙は、そんな途方もない道程にあっても人に静寂を与える。夜中に目が覚めたとき、一人で雑踏を歩いているとき、ひとしきり笑って全てが鎮まったとき、静寂が訪れる。

宇宙のはからいで訪れた静寂を快く受け容れる人は多くない。ようやくたどり着いた静寂も、新たな想念で打ち消されてしまうことがある。まるで静寂から逃げるように、ほとんどの人が次から次へとマインドのエンジンを轟かして静寂を打ち消す。真っ白いはずの紙になにか不都合なことが書かれているかのように、あわてて新しいペンキで塗りつぶしてしまう。

静寂は、宇宙からのギフトだ。このギフトを受け取ったとき、ハートに静寂という名の鐘が響き渡り、あなたは静寂の中に沈潜する。

あなたのハートを本当の意味で解放するのは静寂だ。行為を超えた場所において、あなたは真の自由を得る。

静寂に深く、深く潜ったとき、なにもかもが消え失せて、この世界のどんな物質にも価値はなく、ただ源のエネルギーが広がっているだけだと気づいたとき、あなたは一輪の花が咲いているのを観るだろう。その花は小さな花かもしれない。しかしその花は人生の全てを変える。その花の香りはあなたを夢から醒ます。あなたは愛と平和だけがずっとハートの中に息づいていたこと、人生とは蕾のようなもので、いつそれが開花するかをじっと待っていたのだということを知る。

あなたの人生はその瞬間に終わる。あなたの人生は終わり、「生きる」が「在る」になる。

「今」という静寂に在り続ける、それが本質のあなただ。それ以外のあなたは虚飾だ。

本質が花開いた瞬間に、あなたはもう人生の旅を生きることができなくなる。時間が止まり、全ての価値が崩れ落ちる。なにもかもがはがれ落ちていくように思えるが、ただ一つのものだけが残る。それがあなただ。それが本質の自己だ。

その花は美しい。その輝きは他のどんなものにもたとえることができない。本質の光とは限りない光であり、その光は永遠に絶えることがない。

本質の光を見出したとき、闇は存在し得ないことに気づく。光を覆い隠すことはできても、闇そのものは存在しない。ただ、光を隠しているというだけのことだ。そして、ありとあらゆる方法で光を隠してきたのはあなた自身だ。

静寂に深く、深く入ることだ。全てが落ちていくのを眺めることだ。なにもかもが一握の砂のように指の間から滑り落ちたとき、実存という名の花が開くのをあなたは観るだろう。あなたのこれまでの人生が、この瞬間のために準備されていたことを知るだろう。

それは歓喜であり、調和であり、永遠の光の始まりである。

Neosho

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