明鏡止水

2019年12月20日で人生の旅が終わってから二ヶ月が経ちました。すべての価値観が消滅し、過去も未来もなくなってから「今」という瞬間だけに在り続けた二ヶ月で、ようやく自分に起きたことを受け容れられるようになってきました。

私が生きていると思っていた人生は終わって、実存だけが残りました。「私」という意識だけがずっと在り続け、その在り方によって世界が現れているのをずっと観ている状態になりました。

私の中にはもうなにもありません。私は空っぽになりました。計画も目標も、目指すものもなにもない、ただ在るだけの世界にいて、この先もずっとここに居続けるでしょう。

私が光明を得たのは、宇宙の采配なのだと思います。ずっと意識について探求を続けてきましたが、私は特殊な能力を持ち合わせていたわけでもなく、なにも特別ではありません。

この世界はたくさんの人たちの意識の共同のクリエイションによって創られています。それには例外がないので、私もなにかしらの大きな集合的な働きによって、これまで関わってきた仲間達、数多くの友人、仕事で知り合った人たち、ときにけんかをしたり仲違いをしたような人たち、まだ会っていないたくさんの人たちのクリエイションの結果として人生の旅を終えたのだと思います。

私はこの不可逆的な変化を受け容れ、本質の在り方としての「私」の人生を進むことにしました。

3月初旬に京都の東、天智天皇陵のそばの御陵に居を移します。私のこれからの活動の拠点を明水庵(めいすいあん)と名付けて、日本だけでなく世界中からいろいろな人が訪れることのできる場所にしようと思っています。

ここから私は、プレゼンスとはなにか、「私」とはなにか、実存とはなにか、「今」に在るとはどういうことか、この世界のクリエイションの仕組みはどのようなものか、を発信し、伝えていきます。

この世界について知りたい方、実存とはなにかを知りたい方、自らの本質に目覚めたい方、魂の自由に至りたい方、「今」この瞬間に在りたい方、純粋意識としてこの世界を体験したい方は、会いに来てください。私の時間は私のためではなく、本質に目覚める方のためにあります。

もちろん、私は今も生きているのでいろんなものを食べたりどこかに出かけたり服を買ったりしてこれからも現世を楽しんでいくと思います。しかし、根本がもう変わってしまいました。価値とは相対性の産物なので、私が「今」に在り続ける限り、価値が生じることがなく、ただ「今」が在り続け、それが奇跡であると感じ続けるのです。矛盾しているようですが、「今」だけに在るとはそれ以外に価値が存在しないことでもあるのです。

私にとってはもうどんな賞賛もどんな罵倒もなんの意味もなしません。今自分に起きていることは以前の私からすると夢のようなことなのですが、本当に希なことが起きているのにそのことをただ喜ぶ感覚でもないのです。今の私にとってはただひたすらにこの瞬間が歓びであり、「今」より他に意図が向かうことがありません。

私はただ「今」に在り続ける者、そしてこのことを伝える者です。でも私はマスターではありませんし、マスターになる気もありません。私はいつまでもみなさんの友でありたいと思います。

私はこれからさまざまなことを伝えていきます。その内容、方法は多岐にわたります。中には今の世界観からは受け容れがたいものもあるかもしれません。だからこそ、伝えていくのだとも感じています。ブログや映像、ひょっとしたらいつか本なども書くかもしれません。しかし、本当に大事なことは、その場で一緒にいるところで伝わっていきます。

フィールド(場)を共有することで、その集まった人たちでの膜が形成されます。それがこの世界のクリエイションの原型です。私たちはあまりにも当たり前に毎瞬間、みんなで膜を創り続けているので、自らこの世界を創っていること、みんなでこの世界を創っていることをつい忘れてしまうのです。

みなさんと一緒に場を体験することを楽しみにしています。
この美しい世界、それを創り上げている私たちの本質、純粋な意識を一緒に体験しましょう。

Neosho

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