Returning Home

家への道をゆく。それは最もシンプルなことだが、簡単なことのようで実は難しいと人は言う。

あなたの家はここだ。すべての答えは「今」ここにある。

しかし、人は答えを過去や未来に探し求める。過去を知ったからといってなんになるのか?過去とは「今」に生えたしっぽのようなものだ。

過去が存在するから「今」があるのではない。「今」があるから過去が存在するのだ。

あなたが「今」だと思って観ている景色でさえもあなたの意識にとっては過去のものだ。あなたが知覚するすべてのものの前に存在するもの、それがあなたの意識であり「私」と呼べる本質だ。

自分を知るということは、「今」を知るということだ。「今」を知るということは「今」に在るということだ。「今」に在ること、それ以外に自分を知る方法はない。

誰もが「今」に在ることを体験している。しかし、ほとんどの人が「今」をかなたに追いやって過去や未来に想いを馳せる。あなたはここにいる。それだけで充分だ。

「今」にいるだけであなたは永遠に続く生命の喜びを受け取り続けることになる。過去の自分や未来の自分に一喜一憂することも、壮大な過去生に胸を膨らませることもなくなる。

あなたは「今」ここで完璧な存在なのだ。

公園で遊んでいる男の子がいる。石を集めて投げる遊びをしていたが、夕刻になって家に帰ろうとする。彼は家路につくが、ふと道ばたに投げるのによさそうな小石を見つけた。もう必要はないが、あんなに公園で躍起になって探していた具合のよい石があるので、思わずそれを拾い上げる。すると、その少し離れたところにもちょうどよい小石があるのを見つけた。二つの小石を拾い上げたところで、彼はそのまた向こうにたくさんの石が置かれているのを見つけてしまう。次々と小石を拾いながら彼はこう思う。「またあしたも同じように遊ぶかもしれない。そのときに役に立つから拾っておいても損はないはずだ。」

こうして小石を一つ一つ拾っている内に、彼はいつの間にか自分の知らないところまで来てしまった。

彼は確かに公園から家までの道のりを記憶していたのだが、今の自分は一体どこにいるのかわからなくなっている。元のところに戻ろうとすればするほどますます見たところのないところに出てきてしまう。彼のポケットは小石で一杯だ。家では使うことのない小石だが、彼はそれらを取っておこうとする。過去の体験からもたらされた想いが彼を迷わせる。

私たちの中にもこのような小石がたくさんある。

私たちは「今」を体験している。もしあなたが過去の体験によって、あるいは未来のヴィジョンによって「今」を定義するなら、あなたはいつまでも家に帰り着くことはないだろう。

もうそろそろ、家に帰る頃だ。

ポケットに入っている石は捨ててしまいなさい。

家への道は真っ直ぐだ。しかし、あなたが過去の体験や想いにいつまでも心を奪われているなら、その道は湾曲し、限りなく遠く感じられるだろう。まるでミステリーに満ちた森の迷路に迷い込んだように、あなたは彷徨い続けることになる。人生はもっとシンプルだ。ただひたすらに「今」を生き続ける純粋な心があれば、道は目の前に現れる。

あなたは「今」新しい瞬間を体験している。それは過去からやってくるのではない。あなたの意識が「今」そのものなのだ。あなたの意識が「今」であることを知れば、あなたの知覚さえも過去であることがはっきりとわかるだろう。

あなたの意識が「今」を紡いでいる。
現実を創り続けているあなたの意識、それだけが「今」だ。
あなたの意識が在り方を決める。
あなたの在り方が膜を作る。
そして膜が現実を創っている。

在り方にフォーカスし続けること、それが現実創造の鍵だ。多くの人が現実にフォーカスする。しかし、現実にとらわれればとらわれるほどその人本来の在り方は失われていく。

あなたが観ている現実はあなたの意識にとっては過去なのだ。あなたの意識、あなたの在り方にフォーカスをし続けなさい。そうすれば現実はとても純粋で豊かな創造物になる。

あなたはなにも追いかける必要がない。
自らを定義する必要も、たいそうなゴールを設定する必要もない。

あなたは自由であることを思い出しなさい。
あなたが自由なとき、あなたはありのままに輝く。
あなたが自由なとき、あらゆるポテンシャルが花開く。
その姿を観たくはないかね?

さあ、家に帰ろう。

Neosho

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