The Void Within

あなたの内側には美しき空虚が存在する。

その空虚にはあらゆるものが含まれていて、いつでもその中にある現象を取り出すことができる。

あなたはその空虚の中において完全な自由を体験する。

しかし、あなたはその内側の世界よりもより外側の世界に目を向けるように教えられてきた。外側の世界では一瞬でも氣を抜くと誰かに追い越される。だから絶対に氣を抜いてはいけない、と習ってきた。

あなたはハートに疑問をいだきながら、夢から覚めてベッドから體を起こした瞬間からそのあやしげな原則に従って目を見開き、外側で起きていることがどれだけ自分にとって素晴らしいことか、重要なことか言い聞かせ続けてきた。

このようにしてあなたの空虚、あなたの中で最も静かで豊かな世界はあなたがこれまで生きてきたその間ずっと無視され続けてきた。

そして、空虚は沈黙を守り続けた。

空虚には意図がない。意思も存在しない。

空虚という名の美しいフィールドはあなたが帰ってくるのをずっと待っているが、あなたは人生によほどのことが起きない限り、あなたの内側に在るものを見ようとしないように教えられてきた。

あなたの目は外側に向いていて、あなたの外側の欲求を満たすのに忙しい。新しい世界を求めてより遠くへ旅しようとする。

それでも空虚は静かにあなたの帰りを待っている。

あなたがいつかこの世界のどんちゃん騒ぎに飽き飽きして一人静かに腰をおろし、たった一人、あなたの内側の世界を旅する時が来るのを待っている。

あなたはその瞬間に初めて、この人生がなにかを得るため、なにかを達成するために存在しているのではないということに気づく。

誰もが生まれながらにして持っているこの静寂の中に、あらゆる豊かさと喜びが含まれていることを知る。

この世界はまるであらゆるものが外側に向かって張り出した棘のようなもので作られていて、その仕組みの中でお互いを突付き合うことによってお互いの存在を確認しているように見える。そんな世界の中で、自らの内側に静寂を見出した人はただの世捨て人に見えるかもしれない。

世の中の成功レースから外れた人を見て、人はどう思うだろうか。一人の人間が成功への道を諦めたので自分が成功に近づく可能性がほんの少し増えたとでも思うのだろうか。

ひとたび内面の静けさを体験したら、そんな狂気じみた思考のゲームにあなたは一切の影響を受けないだろう。

一ミリの後悔もなく、一ミリの寂しさもなく、あなたは自分の内なる空虚に帰っていく。

そこには静けさが在り、そこにはあなたを満たす平和的な力がみなぎっている。

そしてあなたは一つの矛盾を感じる。平和という字は「和」を含んでいるが、今の自分はまるで和するものが見つけられない孤独者のようである、と。

しかし、忘れてはならない。平和の始まりはいつも孤独だ。戦いが当たり前となった世界のただ中に平和が生まれるとき、その平和は異端視される。

その平和は「戦いの世界を乱す不届きな者」とさえ呼ばれかねない。

皆、心の中では平和を叫んでいるが、本当の意味での平和を実現できると信じているものは少ない。

なぜなら、自らの中に平和を見出すことができないからだ。

「自分が平和になれないのに、他人が平和になれるはずがない」と思う。

だから、心しなさい。あなたの平和は、孤独から始まる。

まるでだれもが平和を忘れてしまったかのように、まるで100年もの間故郷を離れて流浪を続けた部族がはじまりの地に戻ってきたときのように、あなたは異端者として嘲りと好奇の入り混じった視線を投げかけられるだろう。

しかし、あなたはその視線にさえも一切の影響を受けないだろう。その平和は作られた平和ではない。その平和は地中深くから湧き続ける泉のように、雲ひとつない青空を照らす太陽のように、真っ直ぐにそして着実にその輝きを増していくだろう。

あなたは平和への道を進む。やがてその道を多くの人が歩み、踏みしめ、やがてその道は一つのまごうなき形となる。

あなたの内側にはあらゆるものを包含した空虚が広がっている。

あなたの動きはダンスとなり、あなたの言葉は歌となる。

あなたは何者でもないあなた自身を見出した。

あなたはあらゆる生命が生まれたときからすでに満ちているということを知った。

あなたはゼロでありすべてである。

それだけでいい。あなたは満ちたのだ。

NeoSho

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