『快』
瞑想の最初の状態は、瞑想することによって心身の回復が起きたり、心地よさを感じる「快」です。瞑想を始めてしばらくすると、體の力が抜けて心地よさを感じるようになります。瞑想後に気分が軽くなったり、リフレッシュした感覚、よく寝て目が覚めたときのようなすっきりとした感覚を得られるようになると瞑想をやるのが楽しみになっていきます。瞑想していてたくさんのエネルギーを感じたり、光の体験をして終わってから活力がみなぎっていたり、體や心がアップデートされているような感覚になるのもこの状態です。
『空』
瞑想の状態、二番目の段階は、頭が空っぽになる「空」の状態です。肉体的なリラックスが極まると、筋肉的な力が抜けて脱力状態になります。完全に静止しているようでいて體や心がゆっくりと静かに動いているような状態、そして頭の中に空白が広がっているような状態です。この「空」を体験すると、自分が普段の生活の中でいかにいろいろなことを考え続けているかがわかります。「空」の状態はとても心地よいものです。「空」を体験するとこのようなすっきりとした感覚で日常生活を送りたいという欲求が出てきます。料理や散歩、仕事やなにかアートを創るなどのときに「空」を体験すると、とても気持ちよく静かに世界が進んでいくのを感じます。歩くことも、泳ぐことも瞑想になる、というのはこの「空」の状態です。
『美』
三番目の状態は、この世界の圧倒的な美しさを体験する「美」です。瞑想は前後左右のバランスを整えて立つか座るかして行います。この時に左右と前後のバランスをどこまでも突き詰めていくと、閉じている目が自動的に開いて眼前に「美」の世界が広がります。自分では目を閉じているのに目が半分だけ開いているという不思議な状態なのですがこのときに観る景色の美しさには誰もが圧倒されます。この世界がかけがえのない美しいものであることを知る瞬間です。半眼の仏像や大仏はこの状態を表現しています。
『在』
四番目の状態はただ在る、という純粋な意識を体験する「在」です。「在」にあるとき、私たちは肉体を離れます。肉体を離れるということは時間からも離れるということです。「私は在る」ということだけが存在し、後はなにもない状態、それが「在」です。この意識の状態は、まるで真っ白い紙に黒い点を打ち、自分がその点になっているような感覚です。意識が在るということだけはわかるが、それ以外のことはなにもわからないのが「在」です。
『无』
五番目の状態は、全一の意識、「无」です。「无」とは、なにもないことと、全てがあることが同時に起きている状態を表しています。私たちは全一となったときには全てがありますが、また同時に全てとなっているのでなにもない、という状態になります。全一の状態では主体と客体が同一化するので、私たちは全一の状態を覚えておくことができません。しかし、第四の状態「在」から、まるでその黒い点が周囲の白い紙に溶けていくような感覚になったときに、「无」に向かっていくことを感じ、また全一の状態から徐々に「在」の純粋意識に戻っていくときに「无」にあったことを認識することができます。